少数精鋭で決行された前回合宿から一ヶ月――。
新たに3名を加え、3人分のデスクトップPCとフルHDモニタを携えて、選ばれてしまった6名は合宿第二弾へと旅立って行ったのでした。
今回は3泊4日、木曜日の夕方に会社から合宿地に直接運輸されるハードなスケジュールです。
合宿地は長野県は松本。国宝・松本城(かつての深志城。『信長の野望』ファンならお馴染みですね)で知られる、歴史好きなら嬉しい観光地です。
しかし我々にはのんびりと歴史散策する時間は許されていないのです。何はなくともMDのサイトをリニューアルせねば...。
宿はホテル池田屋さんにお世話になりました。
Wi-Fi付きの会議室を4日間貸し切りにして頂きました。ありがとうございました。
会議室の机にかじり付いてひたすら黙々と作業していたインドアな4日間を、できる限りドラマティックに振り返りたいと思います。
ホテルに着く前に全員でスーパーに買い出しに行く。
MSTさんは「絶対このくらい食べるから!」とカゴから溢れるほどの大量のスナックを買い込む。前回の合宿の後、参加した三人が「絶対太るわこれ」と言っていたのはこれが原因だったのか。買わなければいいのではないか。
一方で私は密かに一人でビールを買っていた。仕事の後に一日一本くらいなら許されるだろう。
ホテルに着くなり早速会議室を占拠して荷下ろし作業を進める。3人分のデスクトップをセッティングするのはなかなかの重労働である。
そうしている間にも矢継ぎ早にBacklogに積まれていくタスクリスト。同時に机に積まれていくスナックたち。
長い4日間の戦いがいま始まったのだ。
ホテルの朝ご飯を頂き、すぐに作業再開。いよいよ新サイトの本格的な構築が始まった。
RSK先輩の手によって次々と美しくコーディングされていくページたち。そのテンプレートをKen.Otsukaと私MiOがjsで動かし、あるいはレスポンシブ化していく。
ディレクター陣も、各ページのライティング作業とディレクションで全員フル稼働状態。
そう、今日でサイトのベースを造りあげなければ、明日からの未来はないのだ。
最初のフルタイム缶詰デーはあっという間に過ぎていく。
この日の夜は近くの居酒屋で少量のお酒を頂き、これまでの労をねぎらい合いつつ後半戦に向けてモチベーションを高め合った。
まだ明朝からの作業が残っているので、完全に肝臓を解き放つ訳にはいかなかったのが心残りである。
ホテルの朝ご飯を頂き、すぐに作業再開。のはずが、私は見事に寝坊して電話で起こされる。食堂で待ちくたびれている他メンバーの視線が痛い。
ともかくこの日の成果によって合宿の成否が決まる勝負どころである。
すでにコーディングとMT構築はかなり進んでいるものの、CSS/JSの調整や新規ページの追加など、まだまだ各々盛りだくさんに作業を抱えている。
しかし、すでにイメージしていた完成形がタスクの隙間から顔を覗かせているのだ。ここで歩みを止めるわけにはいかない。
食事も忘れて作業に没頭する囚われの仲間達。
積まれたタスクが一つずつ荷下ろしされ片付けられていく。
もう少しだ。
陽は落ち、夜は更けていき、いつの間にか日付が変わっていたことに気づいた頃、リーダーの号令が掛かる。
「諸君、この3日間よく頑張ってくれた...!」
合宿の目的が果たされたことを伝える言葉だった。
息詰まる圧政から解放された。我々は自らの手で自由を勝ち取ったのだ――。
各自の笑顔からは疲労ととともに充実感も窺えたのは言うまでもない。
私はこの日皆と軽く打ち上げしてから寝ようと思っていたのだが、結局自室で缶ビール一本飲んだだけで眠くなって寝てしまったのが心残りである。
朝に若干の作業をしてから、昼前には荷物を片付けてホテルを発った。
折角観光地に来ているのだからと、少し松本の観光スポットを巡っていくことに。
まずはもちろん松本城。水面に国宝の天守閣が浮かぶ姿が雄々しい名城である。
しかし、メンバーは誰も特別歴史に詳しくなかったため、どのような所縁のある城なのかといった深い部分は何も語るものを持ち合わせず。私も残念ながら『信長の野望』の思い出以上のことは語れない。
それでもMSTさんをはじめ皆楽しそうだったので問題ないだろう。
続いて松本城から歩いてすぐの距離にある重要文化財「旧開智学校」を訪ねる。
この建物は和風と洋風の入り混じった「擬洋風建築」の代表的なもので、今では明治時代の学校教材など教育博物館として一般に開かれている。
松本城以上に感想を語るのが難しそうなスポットであるが、明治時代の教科書を編纂した人物が恐らくネコ派であったことを示す貴重な資料を発見し盛り上がるなど、微笑ましい一幕も。
その後、周囲で評判のそば屋さんに伺ったところでやっと落ち着いてビールを頂き、ついでに日本酒も頂き、帰路に付いたわけである。
長い長い4日間だった。
今ご覧頂いているこのサイトは、こうして作られたのだった。